| 第四の中華街づくり:一試論としての清水台湾・中華街構想 小島 茂(静岡県立大学)(2007.3) 1.はじめに 日本の三大中華街は横浜、神戸南京町、長崎新地で、どれも歴史のある港町にある。長崎新地は江戸初期に、横浜中華街は江戸末期、神戸南京町は明治初期、日米通商条約締結で開港したさいにそれぞれ誕生した。その後、震災、戦災など数々の災難に遭いながらも今日まで存続し、現在は、どこも一大観光スポットとして賑わっている。 しかしながら、わが国にはなぜか第四の中華街はまだ存在しない。最近、東京、大阪、名古屋なども最近、中華街が次々にオープンした。ただ、どれもビルの一角に中華料理専門店を集積した屋内中華街である。そこには商業主義の匂いはしても、豪華な門やあずま屋のある広場や龍舞獅子舞いなどの年中行事はなく、歴史や文化的香りも欠如している。 中華街構想としては仙台や福岡にあるものの、中国資本導入によるビジネス開発がメーンで三大中華街のイメージとは異なる。つまり日本には、港町をベースとした第四の本格的中華街はまだないのである。 そこで、港町に第四の中華街をつくるとすれば、どこにどういう中華街をつくるのがいいのだろうか、そしてその実現のためにどういう課題があるだろうか? 本稿は、静岡市・清水中心部を第四の本格的中華街のテストケースとして取り上げ、その構想案を一試論として提示する。この中華街は、他の3つの中華街と差別化のために、台湾をベースにした中華街である点に特徴を出し、地元の商店街の活性化と静岡市の国際観光の発展に寄与することも狙っている。 2.日本の三大中華街 はじめに、横浜、神戸南京町、長崎新地という日本の三大中華街について概観しておきたい。 (1)横浜中華街 @アクセス JR石川町駅と地下鉄みなとみらい線横浜中華街駅に挟まれた交通の要所に位置する。周囲は,山下公園,外人墓地,港の見える丘公園,元町商店街、赤レンガ倉庫など人気観光スポットに囲まれている。 A歴史 1840年アヘン戦争の敗北により、中国はイギリスより開港を迫られ、中国人はイギリス人との貿易によって英語に目覚めた。 1860年初め、日本にも、横浜開港にともない、欧米人貿易商の仲介役として中国人が移り住んできだ。そのさい、中国人は英語で欧米人とコミュニケーションし、日本人とは漢字でやり取りをおこなったという。 その後中華街が形成されたが、関東大震災でおよび太平洋戦争で大打撃を受けた。戦後、GHQの支援でいち早く復興した。 1980年代に入ると、市長が元町と中華街を観光の目玉として位置づけ、まちが整備され、今日の繁栄の礎を築いた。 B概観 横浜中華街は日本最大のチャイナタウンで、約250の中華料理店が軒を連ねている。道路も整備され世界でもっとも清潔で美しい中華街と評される。その上、普段でも人出が多く活気づいている。 中華街は東西南北と中央の5つの門に囲まれたエリアで、天長門の近くにはフードテーマパークとして有名な『横浜大世界』があり、北門近くには三国時代の名武将・関羽を祀った関帝廟がある。2006年春には、馬祖廟も建立され、観光の目玉がまたひとつ増えた。 C特徴 福建省などの華僑が多いため、その地にゆかりのある春節祭、関帝祭、龍舞い、獅子舞などさまざまな催しがおこなわれている。 (2)神戸南京町 @アクセス JR神戸線の元町駅から海辺に向かって徒歩5分の地区にあり、元町商店街と隣接している。神戸のイルミネーションのミレニアムもこの近辺でおこなわれる。周辺には、異人館、ポートピア、ハーバーランドなど、横浜中華街同様、観光スポットが多い。 A歴史 明治の初め、欧米人にともなって、貿易の仲介業者、通訳として華僑が移住してきた。神戸中華街が南京町といわれるのは、当時、中国の首都は南京だったためである。太平洋戦争中の空爆で大打撃を受けたものの、戦後はGHQの支援もあり、比較的早く復興した。さらに1995年の阪神淡路大震災では大きな被害を蒙り、中華街の明かりもしばらくは消滅した。しかし間もなく仮設屋台が並びはじめ被災者を元気づけた。 B概観 横浜中華街よりスケールは小さいものの、極彩色の楼門をくぐると異国情緒と活気に溢れる街区。中華料理店をはじめ、茶藝店や雑貨店が軒を並べる。店頭販売には行列ができているところも少なくない。 C特徴 年中行事の龍祭りが有名。と夜の光のイルミネーションが有名。夜は光のイルミネーションが広がり、大勢の家族連れや若い男女で賑わう。 (3)長崎(長崎新地中華街) @アクセス JR長崎駅より市電で5分。中心市街地に位置する。近くにグラバー邸、孔子廟、出島、浦上天子堂など観光スポットがある。反対方向だが平和祈念公園にも市電で行ける。 A歴史 新地中華街は、江戸時代中期に中国からの貿易品の倉庫を建てるために、海を埋め立ててできた。東西南北あわせて約250mの十字路は、長崎市の姉妹都市である福建省の協力により完成した。 1980年代、造船業が衰退し、長崎市を支える次世代産業は観光業ということで中華街が新たにスポットライトを浴びた。歴史は最も古いが、観光地としては最も新しい。 B概観 孔子廟は中華街ではなく別のところにあるため、規模的には神戸南京町よりさらにこじんまりしている。現在、中華料理店や中国菓子、中国雑貨など約40店舗が軒を並べる。 4つの中華門が古代中国の地相占い風水に基づき東西南北を示す方角に位置し、それぞれ火を呼び込んだり、邪気を封じたり、青龍が裏側を見張ったりしている。 C特徴 南門の近くの湊公園は毎年春節祭に合わせて行われる長崎中華街名物ランタンフェスティバルのメインイベント会場となっている。横浜は華僑中心、神戸は華僑に日本人が加わっているのに対し、長崎では日本人と華僑がパートナーシップで運営している。(5) 4.その他の中華街 その他の中華街として、日本の屋内中華街と海外の中華街を紹介する。 (1)屋内中華街 最近、大阪の千里中央、名古屋の大須、東京の立川や台場に、中華料理店を集積させただけの人工的な専門店街ができた。(6)(7) ただし、どれもビルの一角の屋内中華街で、港町にある歴史と文化と海の香りが漂う本格的中華街からはほど遠い。 (2)海外の中華街 海外には、シカゴのような例外もあるが、サンフランシスコ、バンクーバー、ニューヨーク、LA、シンガポール、バンコク、ロンドン、シドニー、ホノルルなどやはり歴史ある港町に多い。 5.本格的中華街の条件 本格的中華街は、以下5つの条件を共有している。 1.歴史ある港町 2.産業、貿易港 3.観光都市の中の観光スポット 4.交通アクセスの良さ 5.エキゾチックな街並みと地域コミュニティの存在 6.本格的中華街になりうる港町 上記の条件から、本格的中華街になりうる港町をリストアップすると以下のようになる。 @なりうる港町 *産業、貿易港−小樽、函館、博多、名古屋、大阪、東京、豊橋、八戸、仙台、新潟、千葉、北州、清水 Aなりえない港町 *漁港−焼津、銚子、釧路 *軍港−呉、佐世保、横須賀 7.清水の現状と中華街の可能性 静岡市・清水の中心商店街が低迷している。清水のパル商店街が呉服町を模倣して上手くいかなかったように、静岡を模倣しても上手くいかないことは実証済みである。発想を転換して、静岡にはないもの、静岡から人が来るものをつくる必要があり、ここでは、地域特性と歴史を活かした、台湾中華街構想を提案する。 清水のメリット 清水に台湾・中華街をつくるメリットは以下の通りである。 1.歴史ある港町(産業、貿易、魚港) 2.静岡市のなかの有力観光スポットになる 3.台湾との共通項ー温暖な気候、マグロ、お茶、イチゴなど 4.近隣大学との連携による研究調査、情報発信 5.中華料理にマグロをはじめ清水の食材を活用 6.台湾は親日派が多く、協力を得やすい。 8.清水台湾・中華街の参考商店街活性化事例 清水台湾・中華街構想の参考事例として、沖縄をまるごと東京の商店街に移した杉並区の沖縄タウンと長浜黒壁の例を紹介したい。 沖縄タウンは和泉明店街の一角を占める。オープンは平成17年3月20日。杉並区には著名な沖縄の学者が住んでいたことがあり、23区内で沖縄関係の在住者が多く、沖縄料理の店も都心ではもっとも多い。さらに近年の物産ブームで商品力のある沖縄に着目し商店街の活性化に取り組んでいる。今年の夏もシーザ祭りがおこなわれた。 他方、長浜黒壁は 年にオープンし、徐々に拡大してきた。もともとガラスには縁もゆかりもなかったが、これからはガラスこそ若い女性を惹きつけるという信念のもと、次々に工房、ギャラリー、レストラン、教室、等を屋根瓦の家につくってきた。まちも、都市計画を提示し、区画整理がおこなわれた。 9.清水台湾中華街イメージマップ どのような中華街にするのか、イメージをもってもらうために、清水台湾中華街のイメージマップをつくる。 @十字路ストリートに4つの門を配置 B中華料理店、茶藝店、ホテル、寺院を配置する C年中行事やイベントを配置する 元宵(台湾)、春節祭、ランタン祭り、龍舞、獅子舞、、豊漁・豊作祈願の踊りなど。 10.実現へのロードマップ 資金面は外して、上記のような中華街が清水にあったらどうか? 子どもたちは喜ぶか? インパクトがあり、清水の活性化と静岡のイメージUPにつながるか? 横浜は無理でも長崎ぐらいの小規模ならなんとかつくれるのではないか? もしYESなら、無理と決めつけず、実現できる具体的方法について考えることが大切ではないか。そのため市民の関心(子どもふくむ)と行政、企業、組合、地域の理解と協力が必要になる。 1.地区の選定(商店街か海沿い) 2.主体の選定(地元中心) 11.おわりに 本稿は、もともと、、筆者の「政令指定都市・静岡マップから見た新たな観光の可能性と実現性」(静岡市観光協会年次総会研修会講演、2006.6)および「静岡市の国際観光の可能性とロードマップづくり」(自民党静岡市議団夏期研修会講演、2006.9)で取り上げた4つの構想のうちの一つをベースにしたものであるが、講演後、清水ではなく静岡市の他のエリアでもできないか、屋内中華街での可能性についてはどうかという質問も受けた。 客観的条件を見ると、清水の駅周辺がもっとも望ましいが、地元に意欲がない場合は、清水はせっかくのチャンスをみすみす他地域に譲り渡すことになる。ただ、獅子舞や龍舞など今回のストリートフェスティバルでおこなう見せ物のひとつでも、地元の年中行事の一環として継続・定着することになれば、構想が実現に結びつかなくても、種を蒔いた甲斐はあったといえる。 (上記は、「経営と情報」静岡県立大学経営情報学部紀要, 2007.3,に掲載されたものです。その後、清水台湾中華街構想は静岡台湾中華街構想に変わり、さらにリアルなものからバーチャルへと移行し、e静岡台湾中華街として2008年よりスタートしました。) |